安田 宏志
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1967年2月 富山県富山市生まれ
富山県職業訓練指導員
電気機器組立シーケンス制御1級技能士
機械保全(電気系)1級技能士
第二種情報処理技術者
アネックソフト株式会社 代表取締役
6人家族で暮らしている

小学生の頃からプラモデル作りとモノを壊すことに夢中。NHKの番組がきっかけで電子工作もやりだした。小3からハンダごてを使ってプリント板にLEDや抵抗なんかをハンダ付けして、電子工作をしていた。
中学では吹奏楽部。小さい体で手の届かないトロンボーンを担当。
高校も吹奏楽部に入った(罠にはまった・・・)が、2年生直前、心臓に欠陥があると言われ休部。このときはクラリネットを担当。
そのころから自宅近所のデパートにある「マイコンコーナー」でシャープのMZ-2000というコンピュータをプログラムでいじり倒すのがおもしろくなり、連日通い詰め。店にとってはきっと迷惑な客だったに違いない。
しかし、そのおかげもあってか、BASIC言語とかZ80アセンブラ言語とかが超得意になり、自分の脳内に仮想レジスタをつくりプログラムをシミュレーション。コンピュータプログラミングのおもしろさに目覚める。
(※病院では卒業して数年後、「なんで検査に来てるの?」と逆に医者に問われ、結局心臓の欠陥は問題ないとわかり、医者ってこんな程度? と、しばし唖然とする)

高校卒業後、県内企業へ就職、工作機械の電装業務に就く。
海外へのスーパーバイザー業務で、高卒入社で1年も経過してないのに、2回も海外出張。上司やその他関係者からは、この年齢(高卒なので未成年)で海外出張は前例がないとか言われた。 というか、出張命令出してるのは、まちがいなく上司なのだが。
海外だけでなく国内もいろいろと出張させていただいた。同行している方々のおかげでか、いろんな酒も飲めるようなり、そんなこんなで約10年、いろいろ勉強させていただいた。お世話になった会社を退職し、しばらくは地質調査のアルバイト(ボーリング調査)で連日筋力アップに励む。その後、バイト先のベテラン先輩の一言がきっかけとなり個人事業として制御屋の営業を始める。
このときぐらいから知人の設計やさんに勧められたH社のダイエット。じつはネットワークの勧誘だったが、なんと11キロもダイエットしてアレルギー性鼻炎(今で言うところの花粉症)からも完璧に解放された。まさに「自分の体は食事からできている」ということを実感した時期だった。

結局なんだかんだと現在に至るまでおよそ30年。いや、小学校時代のハンダごて経験から考えるなら40年ほど。電気を相棒として仕事をしてきております。
おかげさまでFANUCのNCは古くは3M、0M、新しいところでは0iや30iシリーズなど、新規の設計から改造案件もいただけております。